2015年03月27日

ペンシルロケットと糸川英夫 (6)

6 秋田・道川の発射場 ─ ペンシル300とベビー

国分寺で水平発射した後は、いよいよ本格的に上にむかって飛翔実験をおこなうことになりました。ロケット打ち上げ場所を探すのは、ひと苦労の仕事です。当時は太平洋岸はアメリカが実質的に支配していたので、日本海側をめぐって、見つけたのが秋田県の道川海岸(現在の由利本荘市)でした。ここに日本で最初のロケット打ち上げ場が建設されました。正式名称は「秋田ロケット実験場」。道川は1955年8月から1962年にいたるまで、日本のロケット技術の温床でありつづけました。

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道川の発射場の全景


道川での歴史的な第1回実験は、ペンシル300の斜め発射。1955年8月6日、天候晴れ。実験班は23名。風速5.7 m。長さ2 mのランチャー上に、全長30 cm、尾翼ねじれ角2.5度のペンシル300がチョコンと乗っています。発射上下角70度、実験主任は糸川英夫。

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3つのペンシル(真ん中がペンシル300、右が国分寺のペンシル)


糸川英夫は、実験場所上段に着席しました。国分寺におけるペンシルの水平発射のときと同じように、裸電球を10個ほど使った「コントロールセンター」が作られました。糸川の秒読みが始まりました─5、4、3、2、1、ゼロ!
15時32分、尾翼ねじれ角0度のペンシル300が、史上初めて、重力と空気抵抗の障害のただ中を、美しくほそい四塩化チタンの白煙をのこして夏の暑い空へ飛び立ちました。到達高度600 m、水平距離700 m。記念すべきペンシルの飛翔時間は16.8秒でした。

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ペンシル300の発射


つづいてペンシルより少し大きいベビーロケットが製作されました。この頃には、日本のロケット開発は、1957年から翌年にかけて計画された国際地球観測年(IGY)の宇宙観測を支える役割を負うことになっていました。世界中の科学者が協力して、当時まだよく分かっていなかった地球のことを徹底的に調べようという大規模な国際協力です。

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ベビーロケットと糸川


直径80 mm、長さ約1200 mm、重さ約10 kgのベビーは、1955年8月末から9月にかけてたくさん打ち上げられ、IGYを担う次代のカッパ・ロケットへの大きなステップになりました。

国際地球観測年(IGY)が近づくにつれて、糸川英夫をリーダーとする東京大学のロケットグループもそれまでの実験結果から“いける”と確信しました。とは言っても、IGYの開始までは2年しか残されていません。

1955年の10月からは、より大きなカッパ・ロケットの打上げを実行するために、道川海岸に沿って500 mほど進んだ勝手川の北が新たに選定されました。ここで記念すべき名機カッパが育つわけですが、何しろ今から50年以上も前のこと、ロケットの実験場への運搬は馬車に頼る、アンテナは手動のものといった風情でした

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ロケットの輸送は馬車で


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アンテナは手動


当時日本で製造できる燃料は、直径11 cmのマカロニ状のものが最大で、これをもとにして設計されたのが、K-1ロケットでした。実験は1956年2月から開始されました。すでにIGYは翌年に迫っていました。

K-1の初飛翔は、この年の9月、道川で行われました。高度10 kmに達したのですが、その後10 kmを越えることができませんでした。

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K-1ロケット


そしていよいよIGYの開始をあと半年に控えて、最後の仕上げにかかったのですが、これまで採用していたダブルベースという燃料は、圧伸成型で作るので形を自由に作ることができず、大きさも直径1 cmくらいが限度でした。組成物を混合して任意の形の推薬を鋳型法で作るコンポジット推薬ならば、サイズに制限がなく、機体の軽量化も可能となる利点があります。糸川は、コンポジット推薬の使用を決断します。再び闘いを開始。

1957年から燃焼実験が繰り返され、数多くの困難を乗り越えて、第1段・第2段ともにコンポジットをつめたカッパ6型ロケットが、1958年9月25日、ついに目標の高度60 kmに到達しました。IGYの期間は前年7月からこの年の12月まででしたから、まさに滑り込みセーフ。日本は、カッパ6による上層大気の風・気温等の観測データをひっさげてIGYに参加したのです。

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カッパ6の打ち上げ


関係者は辛うじてIGY参加という錦の御旗を守りぬきました。曇り空のこの日、日本は世界の宇宙開発の仲間入りを果たしたのです。カッパ6は21機打ち上げられました。

意外性にあふれ、情熱にみち、一つ一つのできごとへの感激がとてつもなく大きかった日本のロケットの草分けの頃でした。来る4月12日、あのペンシルロケットを水平発射した現地である早稲田実業学校(国分寺市)で、ペンシルの還暦祝いの催しがあります。みんなで押しかけて、祝ってあげてください。(完)

宇宙航空研究開発機構
名誉教授 的川泰宣
posted by 事務局スタッフ at 21:40| ペンシルロケットと糸川英夫

4月4日、皆既月食を楽しもう!

皆既月食を4月4日(土)の夕方、全国各地で見ることが出来ます。昨年10月8日以来の月食です。

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国立天文台 天文情報センター提供

満月がたまたま地球の影のなかを通過すると、次第に月が欠けていき、すっぽりと影の中に入るとほのかに赤い月に代わります。これは地球の大気中で赤い光のみが屈折して折れ曲がり月の表面にまで達するからです。この状態を皆既食、月が部分的に欠けている状態を部分食と呼びます。

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国立天文台 天文情報センター提供

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この日の満月が欠け始めるのは19:15、皆既食は20:54〜21:06までの約12分間、22:45に満月に戻ります。

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月食は満月の時にしか起こりませんが、日食と違い、その時間、月が見えている場所からならどこからでも月食を見ることが出来ます。
月食の経過や月の見える方向、観察方法、月食が起こる仕組みなどの詳しい情報については、国立天文台ウェブサイトの解説ページをご覧ください。
http://www.nao.ac.jp/astro/sky/2015/lunar-eclipse.html 

また、国立天文台では、多くの皆さんにこの月食を観察していただくための観察キャンペーン「皆既月食を観察しよう 2015」を、月食当日の夜に実施いたします。皆既食中の月の色を観察して、ウェブページからご報告ください。多くの皆さんのご参加をお待ちしています。
http://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/20150404-lunar-eclipse/

国立天文台では、月食の起こる仕組みを説明する動画を作成しました。学校や科学館やご自宅で自由にご活用ください。
http://www.nao.ac.jp/gallery/weekly/2015/20150324-lunar-eclipse.html 

月食が見られるのは平均で1年に1〜2回程度です。次回、日本国内で皆既月食が楽しめるのは3年後の2018年1月31日になります。ぜひ、見逃さないように。

国立天文台 天文情報センター・普及室長
縣 秀彦
posted by 事務局スタッフ at 15:27| UNIVERSEニュース

2015年03月26日

ペンシルロケット発射60周年を機に実験場所の正確な位置を調べました

国分寺市でペンシルロケットの水平発射実験が行われた頃、私は国分寺市立第四小学校に通っていました。とはいえ、まだ3年生になったばかりで、当時は何もわからず、日本のロケット開発の原点ともいえるこの実験が、自分の住んでいた近くで行われたとことを知ったのは、だいぶ後になってのことです。

ペンシルロケットの実験は、現在早稲田実業学校高等部のグラウンドになっているあたりで行われました。子供の頃に地元に住んでいたものとして、私は長い間、実験が行われた正確な場所を知りたいと思っていました。実験が行われた試射場は埋められてしまったために、「だいたいこのあたり」ということは分かっていても、「ここです」とは、なかなか言えなかったのです。

60周年を迎えるにあたって、私は国分寺市にご協力をいただきながら、ペンシルロケット実験が行われた場所を正確に求めるための調査を行いました。当時の地図、JAXA宇宙科学研究所に残っている実験時の写真、航空写真などを分析し、さらに当時のことを知っている方々にお話を聞きました。
その結果、実験場所の正確な位置が明らかになりました。その場所がどこであるかは、4月11日から4月19日まで国分寺市立本多公民館ホールで開催される企画展「ペンシルロケット60年目の待ち合わせ in 国分寺」で、パネル展示される予定です。

ペンシル実験が行われた半地下のコンクリート構造物は、今も「遺跡」のようにグラウンドの下に眠っています。今回明らかになった場所を、将来、地中レーダーなどの方法で実際に確認していただけないだろうかと、私は思っています。

日本宇宙フォーラム 寺門和夫
posted by 事務局スタッフ at 11:21| UNIVERSEニュース